February 2009
ホンのしばらく大学で教鞭をとった。1時限目の授業もあって久しぶりに朝早い時間帯に車を走らせる日々を過ごした。
それで気づくことがあった。よその、まあまともと思える国々と日本の朝の風景がまったく違っていた。
何が違うかというと、よその国ではこの時間帯に必ずスクールバスを見受ける。
学校があれば、その正門前にはスクールバスのほかに子供を送ってくる自家用車がひしめいている。
日本ではそんなスクールバスはいっさい見かけない。子供たちは走る車をかわしながら歩道の区別もない道を歩んでいる。
スクールバスの代わりに日本でしか見かけない光景がある。老人介護の車椅子マークをつけた小型バスがやたら走り回る。
日本ではなぜ子供より老人を大切にするのか。答えは共産党か公明党に聞けばいい。
老人には未来などない。しかしいまは投票権をもっている。それがぼけていても1票に変わりはない。
かくて介護だとか老人健保だとか福祉政策がすいすい立案、成立され、国民の税金で老人どもの面倒を見る。
ただ条件が付く。これだけよくしてもらえるのはわが党のおかげ。介護もする、医療費も安くした。投票所には車で連れていってやるから、こういう名前を書き込め。分かったね。
かくて税金で買った老人介護の車が元気に街を走り回る。
所沢で運転しながら犬の面倒を見ていたおばさんが、集団下校している小学生の列に突っ込んで8歳の女の子を死なせた。
輪禍だけではない。奈良では下校途中の幼女が変質者に連れ去られ、殺された。栃木県今市市でも同じ悲劇が起きたが、どこもスクールバスを走らせようとはしない。票にならないからだ。
そして今日も老人バスは児童を蹴散らして街を行く。なんともいびつな日本の景色だ。
” —子どもを犠牲にする国|この一年の注目記事|新しい日本を創る提言誌 Voice+ ボイスプラス (via kml) (via pdl2h) (via otsune)
子供の事を考えて票を投じる親もいなければ、孫の事を考えて票を投じる老人もいないって事ね。
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ActionScriptで音声合成?
コマンドラインからダウンロードはありがたい。
YouTubeはDragon Ashのフリーライブと連動した企画を開催する。3月3日、東京・代々木公園野外ステージで行われるDragon Ashのフリーライブを参加者が自由に撮影して、YouTubeに投稿できるというもの。撮影は携帯電話、家庭用カメラに限り、業務用カメラの使用は禁止となっている。
再生回数の多かった作品にはBEST VIEWERS賞が、編集、エフェクトなど作品性、アイディアに優れた作品には優秀作品賞、Dragon Ashのミュージックビデオを手がける監督が選ぶ須永秀明賞が設定されており、受賞作品の投稿者には賞品も用意されている。
なお、同企画はビクターエンタテインメントの映像作家オーディションも兼ねているとのこと。投稿期間は3月31日までとなっている。
” —Dragon Ashがフリーライブ!参加者が自由に撮影してYouTube投稿!!(RBB TODAY) - Yahoo!ニュース
新しいね
(via kml)
(via rl8-1)レコメンド等のサービスでは、この会社さんのことは知っていたが、ARに取り組んでいるとは知らなかった。
⇒実際に拡張現実の技術に取り組んでいる会社が身近に…。アイデアも面白いし、実現するための実証実験も行っている。一度話をきいてみたい!!
” —development memo for ourselves 飛び出拡張現実ライフ@日本橋 by KBMJ akio0911さんのBlog (via akio0911)『つみきのいえ』オスカー受賞
iPhoneで青空文庫が読める。
繰り返すが、イタリアでも、日本でも飲酒は合法だ。だが、その一方で危険な「薬」の服用は、両国とも違法となる可能性が高い。
つまり、記者会見でのあのような醜態を晒した後、その原因が「薬」のせいだとなると、中川大臣には別の疑惑が浮かんでしまう。それは、果たして、中川大臣は認可された「薬」を服用していたのかどうかという、疑惑である。
また、仮にそれが合法の薬だとしても、今度は、まったく逆の疑惑が生じてしまう。それは、もしかして人体に有害な薬が流通しているのではないかという疑惑だ。
薬品の認可は厚生労働省の所管だ。重要な国際会議で、日本政府の代表に醜態を晒すような薬を認可させているとしたら、それはそれで大問題であるが、それ以上に、そうした薬が流通し、日本の国民が同様の危険に晒されているという事実が問題だ。国民の生命・健康に重大な危険をもたらす可能性があるかもしれないのだ。
仮に、中川大臣が言うような、意識が朦朧とするような薬が流通しているとしたら、政府は即刻調査をすべきだ。また、中川大臣自身も、国民の健康と安全のために、服用した薬の種類を速やかに公表すべきだ。
” —なぜ飲酒の事実を隠したのか? 納得がいかない中川大臣辞任の理由|週刊・上杉隆|ダイヤモンド・オンライン
いい視点。
常に卵の側に
村上春樹
今日私はエルサレムに小説家、つまりプロの嘘つき(spinner of lies)としてやってきました。
もちろん、小説家だけが嘘をつく訳ではありません。すでに周知のように政治家も嘘をつきます。外交官や軍人は時と場合によって独自の嘘を口にします。車のセールスマンや肉屋、建築屋さんもそうですね。小説家とその他の人たちとの違いですけど、小説家は嘘をついても不道徳だと咎められることはありません。実際、大きい嘘ほど良いものとされます。巧みな嘘は皆さんや評論家たちに賞賛されるというわけです。どうしてこんな事がまかり通っているかって?答えを述べさせていただきます。すなわちこういうことです。創作によって為される上手な嘘は、ほんとうのように見えます。小説家はほんとうの事に新しい地位を与え、新たな光をあてるのです。ほんとうの事はその元の状態のままで把握するのは殆ど不可能ですし、正確に描写する事も困難です。ですので、私たち小説家はほんとうの事を隠れ家からおびき出して尻尾をとらえようとするのです。で、とりかかるためにまずは、私たちの中にあるほんとうの事がどこにあるのか明らかにする必要があります。これが上手に嘘をつくための重要な資質です。
しかし今日は、嘘をつくつもりはありません。なるだけ正直でいようと思います。1年のうちに嘘をつかないのは数日しかありませんが、今日がその1日なのです。
そういうわけで、ほんとうの事を話していいでしょう。結構な数の人々がエルサレム賞受賞のためにここに来るのを止めるようアドバイスをくれました。もし行くなら、著作の不買運動を起こすと警告する人までいました。
もちろんこれには理由があります。ガザを揺るがせた激しい戦いです。国連によると1000人以上の方たちが封鎖されたガザで命を落としました。その多くは非武装の市民であり子供でありお年寄りであります。
受賞の報せから何回自問した事でしょうか。こんな時にイスラエルを訪問し、文学賞を受け取る事が適切なのかと、紛争当事者の一方につく印象を与えるのではないかと、圧倒的な軍事力を解き放つ事を選んだ国の政策を是認する事になるのではと。もちろんそんな印象は与えたくありません。私はどんな戦争にも賛成しませんし、どんな国も支援しません。もちろん自分の本がボイコットされるのも見たくはないですが。
でも慎重に考えて、とうとう来る事にしました。あまりにも多くの人々から行かないようアドバイスされたのが理由のひとつです。たぶん他の小説家多数と同じように、私は言われたのときっちり反対の事をやる癖があります。「そこに行くな」「それをするな」などと誰かに言われたら、ましてや警告されたなら、「そこに行って」「それをする」のが私の癖です。そういうのが小説家としての根っこにあるのかもしれません。小説家は特殊な種族です。その目で見てない物、その手で触れていない物を純粋に信じる事ができないのです。
そういうわけでここにいます。ここに近寄らないよりは、来る事にしました。自分で見ないよりは見る事にしました。何も言わないよりは何か話す事にしました。
政治的メッセージを届けるためにここにいるわけではありません。正しい事、誤っている事の判断はもちろん、小説家の一番大切な任務のひとつです。
しかしながら、こうした判断をどのように他の人に届けるかを決めるのはそれぞれの書き手にまかされています。私ですが、超現実的になりがちな形に移し替えるのを好みます。今日みなさんに直接的な政治メッセージをお届けするつもりがないのはこうした事情があるからです。
にもかかわらず、非常に個人的なメッセージをお届けするのをお許し下さい。これは私が創作にかかる時にいつも胸に留めている事です。メモ書きして壁に貼るほどのものではないです。どちらかというと、心のなかにくっきりと刻みこまれているたぐいのものです。
「高く堅固な壁と卵があって、卵は壁にぶつかり割れる。そんな時に私は常に卵の側に立つ」
ええ、どんなに壁が正しくてどんなに卵がまちがっていても、私は卵の側に立ちます。だれか他の人が何が正しく、何がまちがっているのか決める必要があるのなら、それはたぶん時と歴史が決めるのでしょう。いかなる理由にせよ、壁の側に立って作品を書く小説家がいたとしたら、そんな仕事に何の価値があるのでしょう?
この暗喩の意味とは?たいていの場合、まったく単純で明快すぎます。爆弾と戦車とロケット弾と白リン弾は高い壁です。卵とは、押しつぶされ焼かれ撃たれる非武装の市民です。これが暗喩の意味するところのひとつです。
しかしながら、常にそうではありません。より深い意味をもたらします。こう考えて下さい。私たちはそれぞれ、多かれ少なかれ、卵です。私たちそれぞれが壊れやすい殻に包まれた唯一無二のかけがえのない存在です。私にとってほんとうの事であり、あなたにとってもほんとうの事です。そして私たちそれぞれが、多少の違いはあれど、高く固い壁に直面しています。壁には名前があります。それはシステムです。システムはもともと、私たちを護るべきものですが、ときどき勝手に私たちを殺したり殺し合うようしむけます。冷たく、効率的に、システマティックに。
私が小説を書く理由はひとつだけです。個人的存在の尊厳を地上にもたらし、光をあてる事です。物語の目的とは、私たちの存在がシステムの網に絡みとられ貶められるのを防ぐために、警報を鳴らしながらシステムに向けられた光を保ち続ける事です。私は完全に信じています。つまり個人それぞれの存在である唯一無二なるものを明らかにし続ける事が小説家の仕事だとかたく信じています。それは物語を書く事、生と死の物語であったり愛の物語であったり悲しみや恐怖や大笑いをもたらす物語を書く事によってなされます。だから日々私たち小説家はまったくの深刻さを創作と混ぜ合わせてやりくりしているのです。
昨年私の父は90才でなくなりました。彼は元教師でたまにお坊さんとして働いていました。彼は大学院にいた時、徴兵され中国に送られました。戦後生まれの子供として、父が朝食前に長く深い祈りを仏壇の前で捧げていたのを目にしましたものです。ある時、私がどうしてお祈りをするのかたずねたところ戦争で死んだ人々のために祈っていると答えてくれました。
味方と敵、両方の死んだ人たちすべてに祈りを捧げていると父はいいました。仏壇の前で正座する彼の背中をながめると、父にまとわりつく死の影が感じられるような気がしました。
父は亡くなり彼の記憶も共に消え、それを私が知る事はありません。しかし父に潜んでいた死の存在感は今も私の記憶に残っています。それは父から引き出せた数少ない事のひとつであり、もっとも大切な事のひとつであります。
今日みなさんにお知らせしたかった事はただひとつだけです。私たちは誰もが人間であり、国籍・民族・宗教を超えた個人です。私たちはシステムと呼ばれる堅固な壁の前にいる壊れやすい卵です。どうみても勝算はなさそうです。壁は高く、強く、あまりにも冷たい。もし勝ち目があるのなら、唯一無二なるものを断固として信じ、自分自身と他者のかけがえのなさを信じ、存在をつなぎ合わせる事によって得られた暖かみによってもたらされなければなりません。ちょっと考えてみて下さい。私たちはそれぞれ、実態ある生きる存在です。システムにはそんなものはありません。システムが私たちを食い物にするのを許してはいけません。システムがひとり歩きするのを許してはいけません。システムが私たちを作ったのではないです。私たちがシステムを作ったのです。
私が言いたいのは以上です。
エルサレム賞をいただき、感謝しています。世界の多くの地域で私の本が読まれた事にも感謝しています。今日みなさんにお話できる機会を頂いて、うれしく思います。
” —村上春樹: 常に卵の側に (via nakano)